NHK映像の世紀「レーニン」と「プーチン」を見て

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NHK+で、映像の世紀 バタフライエフェクト 「レーニンとプーチン」を見た。
https://www.nhk.jp/p/ts/9N81M92LXV/list/?fbclid=IwAR2xNRab9aZd0caQ2IQl6BFKb0BCnoKV0QI3zC5jaBCpLo11gnmcTiD5iHU

大量殺戮ばかりで見ると気が重くなるが、NHHなりのプーチンの考え方の文脈が表現されている。
この番組の見方に沿ってプーチンの意図を考えると、彼はロシア兵が幾ら死んでも戦争を止めないということになりそうだ。

民主主義の憲法は、
国民1人ひとりが自由で自律的に自己実現できるようにするために、その手段として統治機構がある
という考え方だ。しかしそのような哲学は、
「ロシアが勝利すれば(2000万人とか、2700万人とかの)膨大な犠牲者が出たって批判される筋合いはない」、国家のために国民は命を捧げるべきである
と確信し行動している者にとっては戯言に他ならない。

国際情勢が緊迫してくると、どこでも自衛のため、抑止のために防衛力を強めたくなる。
いずれの国も自分だけ軍備を増やしたいがそうは問屋が卸さない。
世界の軍事費はここ7年連続で増加しているそうだ(第一生命経済研究所)。
そうやって地球上に武器が増えればそれによって殺傷される人数が増える可能性は増していく。

蛮行を見て興奮したり、脅威にびびって逆ギレし「やんのか?」という気分になり、国家がなくなれば国民の幸せどころじゃない と考え始めると帝国主義と同じような考え方になっていく。
軍備費は増額、非核三原則は廃止。徴兵への参加は(国家がもっとも大切なので)国民の最も基本的かつ崇高な義務だ となってくる。

ウクライナのニュースを見たり、日本海にミサイルが飛んできたり、近海を中露の爆撃機が飛べば、会社でSDGsとESGに取り組んでいる人だって血が騒ぐ。私自身そうであり、それは生きものとして当然なことだと思う。また、「怒り」に身を任せ、自分の正義を信じることは精神的に楽な面もある。しかし、多少なり理性があるのが獣と人間の違いであるはずだ。

戦争は人権侵害の最たるもの。
人類は、人を殺したり、殺されそうになったり、目や手脚を失くし、愛する人たちが殺されたり、全てを失って飢えに苦しみ、極限状況で悪事を働いて心身共に壊れ 
「もう戦争はイヤだ (涙)」
を繰り返してきた。

だからこそ国防は国の基本的な責務。情勢に対応できるだけの軍備は必要だ。
ただ、緊迫してきた状況だからこそ、軍備を見直したり強化するのはなんのためなのか? を忘れないでほしい。
1人ひとりを大切にするためならば、当面の課題には(できる限り人権侵害を回避できる選択肢を模索しながら)対処しつつ、国際社会全体として継続的に軍縮をしていこうという発想とその努力をするべきだ。

有事だから人権の制限は当然。敵国は悪だからその国民の人権に配慮する必要はない。むしろ苛烈な対応をした方が戦争が早く終わる
 という気持ちになってしまうと「いつか来た道」を歩くことになる。
そして恥ずべき行いをしたと悔やむことになる。

Category:最近の話題

TAGS:戦争と平和 , 日本国憲法 , 民主主義

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古田利雄>
古田利雄

主にベンチャー企業支援を中心に活動しています。上場ベンチャー企業、トランザクション、NGC、Canbas等の役員もしています。

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