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続/宮城県の被災者状況

2011.04.06 古田利雄



 昨晩(5日夜)は、宇都法律事務所から料理屋「鳴る海」

に移動した。

 一部食材がない、都市ガスが復旧しないのでプロパンで代替という状態だが、美味い肴と地元の銘酒をいただいた。席は8割方埋まっていた。

 市内は照明も東京より明るいくらいで、居酒屋の前には炭焼きグリルの立ち飲みコーナーが出ていたりして、大震災のことは感じさせない。改めて仙台は、大きくて美しい都市であり、都市部については日常を取り戻しつつあると感じた。



 6日(水)は、同行した佐藤亮弁護士と7時半ころ仙台駅で立ち食い蕎麦を食べてから同君と別れ、車で海岸線を北上。

仙台港から45号線で塩竈を通り松島方面に向かう。この辺りは、海からそれなりに距離があるはずだが、道路の横には、津波で流されてきた建物などの残骸や車両が積み重ねてある。また、停電の影響か、警察官が交通整理をしている交差点があった。しかし、道路はきれいだ。











 塩竈港のそばでは流された船が目立つ。



 松島は、絶景であり、奥松島が太平洋を遮るように張り出しているので、津波の影響は緩和された様子だった。本日現在で、隣の東松島市は800名を超える死者が居たのに対して、松島町の死者は1人。観光客相手の飲食店や土産物店も復旧のための工事をしていた。頼もしいと思った。







 更に、海岸線に沿って、奥松島の宮戸島に向かった。全てが流されたようで、自衛隊の姿が目立つ。自衛隊員が、川をボートで移動しながら川底を棒で捜索している。宮戸島へ渡る道路は砂利道で一部が壊れ、鉄板を何枚も被せて通行するところもあった。

 仙石線の線路もかなり壊れているうえに瓦礫が上に乗っているので復旧には相当な時間がかかるように思った。沿岸部では、車両も流されているので、被災地では日常の足に苦労されていると思う。











 更に45号線を北上して東松島市に着く。ここも大きな被害を蒙っており、5000名以上が避難している。

 同市矢本町の大型スーパー・ヨークベニマルがあったので覗いてみる。駐車場の一部は泥が残っていたが、通常営業しており、カップ麺などの食料も積み上げて販売していた。

 ここに近い避難所である東松島高校に立ち寄る。避難所の人たちは早く家に帰りたいので、朝食を食べたらすぐに家に戻り夕方まで掃除をしているとのこと。この避難所はこれから美里に引っ越すとのことだった。たしかに、住宅では皆ゴミを塀の外に立て掛けて、家の中を掃除していた。

 また、グーグルで寺を探して3つほどのぞいてみたか、いずれも無人で、一つは山門に張り紙があり、檀家向けの連絡先が書かれていた。

 同市役所鳴瀬庁舎。入り口のガラス一杯に様々な張り紙がしてある。遺体安置場所の告知や、各種届けでの案内などその内容は多種多様だ。

 同役所と隣接する小野市民センター。この日は暖かく、市民センター前では、焼きソバの露天が出ており、入浴サービスも行っていた。

 午後2時近くなってきたので、復路は仙台松島道路を通り約1時間で仙台市内に戻った。



 短期間に道路網が復旧され、物資が運び込まれたことがよくわかった。これからは、居住環境の復旧、仕事を確保して日常生活を取り戻すことに=復興に向けて動いていく時期に入っているようだ。

・・・と私は感じた。



 しかし、ここより数キロ北上した石巻では、未だ状態が悪いということが昨日(8日)、友人でシェフの渋谷さんと会ってわかった。

 彼は、3日(日)4日(月)、石巻市釜小小学校に炊き出しに行ったが、ここは汚泥の片付けなどが済んでおらず、物資も十分とはいえなかったという。友人と2人で神奈川からプロパンガス等の機材と材料を持っていき、パスタを450人分作ったそうだ。月曜日は雪がちらつくほど寒かったが、最後の人は2時間半行列に並んでいたという。

 段取りは、現地のNPOに申し込んで、釜小に案内されたとのこと。エヴァンタイユ出身の名シェフが作った料理に現地の人も癒されたと思う。

 

 また、先輩の野村弁護士からは、有志6名で、2日(土)3日(日)、陸前高田で勝手連的に法律相談を実施したと聞いた。形式は内閣府からの派遣として、現地の災害対策本部で法律相談を設定してもらったとのこと。2日間で88件の法律相談があったという。本当に、お疲れ様でした。



 最後に、まず、東北道は快適に走行できる状態であり、7日(木)深夜にあったような大きな余震もあるかもしれないが、過度に心配せず、東北を怖がらないで欲しい。福島原発の影響も含めて、皆が怖がっていることが復興の大きなブレーキになると思う。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということもあるし、行ってみないと分からないこともあるから、ボランティアでも観光でもいいから東北に行くといいと思う。

 次に、自分が被災地に住んでいて、家は流され、妻や小さい娘の亡骸すら見つけられず、着の身着のままで避難所に居たとして、そこに東京から短期間のボランティアが来て「どうもどうも」と言われたら、どういう気持ちになるか。現地での活動ではここに配慮した言動が求められることも申し添えたい。

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古田利雄

主にベンチャー企業支援を中心に活動しています。上場ベンチャー企業、トランザクション、NGC、Canbas等の役員もしています。

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